各教科における「何となく」

シナジー川柳⑤

気がつけば あなたの側(そば)にも 「何となく」 キャー!!

以下のような「何となく」、あなたも触れたことがあるのでは?
中には「何となく」ではなく、「洒落にならない」ものもあり
ますが・・・(順次追加していきます。)

全教科共通

・授業がただの「答え合わせの時間」になっている。問題集の解答を
 講師が読み上げているに過ぎず、生徒さんが授業料を払い、授業に
 時間を費やす意味がない。
・一つの教室に多くの生徒さんを詰め込み、授業は双方向ではなく一方通行で
 行われる。話を聞いてノートをとることが生徒さんの主な作業で、時折
 質問に答えるのみである。そうした授業形態により、生徒さんには完全に
 受け身の態度が染みついてしまい、昨今ようやく重視され始めたコミュニ
 ケーション力を上げるどころか、低下の一途をたどるのみとなる。にも
 かかわらず、「人材を育成する」だの「未来のリーダーを育てる」だのと、
 宣言文句だけは立派に躍り続けている。
・「親身の指導」を謳いつつ、何一つ親身になって行われてはいない。ただ
 「覚えなさい」「勉強しなさい」の繰り返しで、何を使ってどう効率よく
 覚えるかの指導もなければ、勉強した結果の習得度のチェックも行われて
 いない。

英会話
・ネイティブ・スピーカー、あるいは英語の流暢なノン・ジャパニーズ
 を相手に、何となく会話をして終了。反応と流暢さが微増のみ。
・「今日はこの表現を覚えましょう」と教えられ、授業中は言えるように
 なるが、それっきりで終わるために翌日には忘れている。
・会話の授業であるにもかかわらず、授業後に生徒さんの口とあごが
 疲れていない。
・ネイティブ・スピーカーの講師が英語の多様性に無関心、あるいは
 無知であるため、偏った(時には誤った)知識を植えつけられてしまう。
・英語の(そこそこ)流暢な日本人講師が自分に酔っていて、主役は生徒さん
 であることを忘れている、あるいは端からそれを知らない。


英語
・「この単語(熟語)は~という意味です。覚えましょう。」で解説(?)終了。
 なぜそういう意味になるか、そしてどう覚えるのが効率的なのかまでは話が
及ばない。
・英語圏の文化が視野に入っておらず、結局「日本人が何となく英語にした
 もの」が生徒さんに与えられている。
・英文法と英会話が対局の物、まるで相反するもののように扱われており、
 会話のためには文法が不可欠であるという観点がない。また文法の授業に
 会話の要素を取り入れて、柔軟かつ楽しく授業を行うという発想もない。

国語
・教科としての国語は、母国語を用いた学問であり、生まれてから自然に身に
 ついてきた、日常生活で使う母国語が土台になっている。その認識が教える側
 に足りない、あるいは無い。
・ただ漫然と一問一問の表面的な答え合わせが行われるのみ。文章をどう読み、
 どう理解し、どう答えを選びまた書くのかという、根本的な説明が不十分、
 あるいは無い。
・国語の問題や試験は、母国語を駆使してのコミュニケーション力を試すもの
 である。その基本を外し、ただ表面的な暗記で点を取ることが可能な程度の
 低い問題が、学校の定期試験にはあまりに多過ぎる。母国語の力が一人の人間
の全てを支配するという、根本的な真理を試験作成者が理解していない。

社会
・まず社会とは、「人間社会」について学ぶこと、突き詰めれば「人間」について
の学問であり、生徒達にとってこの上なく重要且つ面白い教科だという大前提が
理解されていない。
・よって社会は「暗記科目」であると決めつけられる。そもそも薄っぺらい知識ばかり
 生徒に与え続けるため、そして表面的な暗記のみで高得点が取れる試験が多過ぎる
 ため、そうした誤解が生まれるのである。
・「地理」「歴史」「公民」などと分野分けされているのは、あくまでも便宜上のことで
 ある。全て人間とそれにまつわることを学ぶにも関わらず、生徒達は社会という教科と
 自らのつながりを全くと言っていいほど感じていない。これも上記二つに起因する。
・控えめに言っても10年遅いが、ようやく高校入試等も記述問題重視になってはきた。
 だが社会を教える側が、それに対処できる十分な国語力・指導力を持っているのかは
 甚だ疑わしい。表面的な知識に頼る授業・試験作成の方が、教える側にははるかに楽
 なのである。

算数・数学
・分数⇔百分率⇔歩合などの変換と言った「数の感覚」は、小学生のうちに絶対に
 身につける必要がある。しかし実際は分数が理解できず、小学校中学年で算数・
 数学界から締め出される生徒さんが少なくない。だが仮に理解できているとしても、
 計算のやり方と正答の得方のみを習得している場合も多い。算数の成績は良くても、
 4分の1が「一つの物を4つに分けたうちの一つ分」だという簡単な説明すらできない
 生徒さんは少ないとは言えない。
・文章題はまず「自分が何を求められているのか」理解できなければ始まらない。
 基礎的な国語力ありきなわけだが、いわゆる理系の教師・講師には、算数・数学と
 国語のつながりが、あまりにも見えていないのではないか。表面的な指導を受け
 続けた結果、問題文中に現れた数字を何となくかける、または割る生徒さんが
 後を絶たず、運が良ければ正解という次元に留まっている。